この1年

写真は現在取りかかっている雇用支援の一つである縫製事業の商品に付くタグ
自宅のネット環境がやっと、やっとやっと整ったので時間のあるときブログ書いていきます。
さて今をもたらしたあの震災から1年を迎えます。
時間は向かっていくものの様だけど、今日は振り返ります。
先ずはお礼をさせて頂きたいです。
あの未曾有の惨状の中で心のこもった物資や、温かい手紙や、尊い寄付金や、ありがたい助言を送ってくれた神様のような支援者さん。
本当に心から感謝しています。
おかげさまでピースジャムは仲間が増え1年経った今は約4500世帯のニーズ調査をし400世帯のベビーをリサポートできました。
現在はママさん達の雇用支援に取り組む事も始めています。
当時は思いもしなかったNPO法人を現在は必要性が高いと判断し申請中です。
まだまだ自分達は至りませんが、礎となってくれた皆様には感謝してもしたりません。
心からありがとうございます。
だいぶ人数は減ったものの、まだまだ物資支援の必要な方は多くいますのでもう少しだけ物資支援は続けたいと考えています。
前進する事に精進しますので、今後ともピースジャムをよろしくお願い致します。
次に
1年を振り返った感想ですが、様々な表情を瞬く間に焼き付けられたようで一概に何ともいえません。
文才ないし。
でも確実に言える事があります。
人生いつ何が起きてもおかしくはない。ってことです。
一寸先は闇であり、塞翁が馬。
禍福は予測し難いというか、禍福の予測は無理という事が一つ。
もう一つは
だからこそ誰だって花は心に咲かせなければ、一瞬で世界は枯れる。
そんな風に思うんです。
花が美しいのは、その人の心に美しいと感じる感性が宿っているから。
花も人も鏡のようなものだと感じさせられた一年でした。
鏡磨くより自分磨こうぜ俺!
的な。
最後に、一年が近づいてきたので去年の震災時に書いていた日記から一部を転記です。
何か感じてくれたら幸いです。
※一部伏せ字等入れました
3月14日
午前中は市役所でauの人は使用可能らしく兄達と行く。
ここ数日iPhoneはタダのメモ帳だ。
オレの知り合いには誰にもつながらなかった。
でも数名の知人と数名のお客様に会えた。生きて会えて嬉しく思った。去り際は皆、「じゃあ気をつけて」と話す。
午後
松岩旧道沿いの〇〇君(友達)の家まで向かう。
無事だったビデオも持つ。
この最大最悪の状態を記録に残すため。この被害を皆、数字だけで記憶しない様にビデオを持つ。
流出したKTVの屋根を乗り越える。
だだっ広い視界には家の残骸と海だけが一面に映った。あんなに数多くの家があったのに、こんなに低い場所なのに海まで見える。こんなに低い場所だから津波が直撃したのだろう。
道路は流れた家屋などで両サイド完全に遮断されている。
ここも野ざらしに遺体が転がっている。
瓦礫にも挟まっている。
俺と同じ人間が。
泥だらけの毛布を掛けられた遺体もあった。現状は放置しかできない。
窪地の瓦礫とバスタブに挟まっている女性を引き抜く。サンダルの女性は家の跡を見に来たと言った。
〇〇君の家だったであろう場所には何も無くなっていた。が、△△店だったから床が緑色ですぐにわかった。
床しか残ってない。生きているか知りたくて基礎の上をウロウロしていると、精肉店の列びの店の店主が上の多少無事だった家から話しかけてくれた。
友達の安否を尋ねる。
奥さんと子供は無事だったが〇〇と〇〇の両親はダメだった。接客していた為に逃げ遅れた。遺体は確認していない。
と聞いた。
どこかで生きているけど連絡が取れないだけではないのか。
そう思いたかった。
でも、この凄惨な光景の中にいると、嫌だが閉口した。
オレ1人では無力で何も出来ないから、せめてタバコと兄に貰ったコーヒーを置き、辺りに手を合わせる。
もし彼が生きていた時、これが笑い話しになるようにと願いを込める。
旧道に道の名残りなどなく、つまり、どこを歩いているか分からなかった。ねじれた線路や電信柱がそばにあった。
松岩駅があったであろう場所は土台と歪んだ緑の柵だけがわずかにあった。
その近くの高台にある神社に上がり辺りを見回すと、海が陸を侵食してきて海の道の様な物をつくっている。見渡す限り無事な家など一件もなかった。
更に南下して実家へ歩く。
ボロボロになった大きな食品加工場に人が群がり大量の食料を盗んでいた。
我先に、我先にと。
カニ缶や塩辛やフカヒレスープなどが多かった。
他人と協力しあい運ぶ者達もいた。
生きる為に。
もちろん誰も好んで盗みたくはないだろう。
異様な光景だった。
そりゃあ、一日おにぎり一個ではもたないし、誰も食べる事に悲しみを感じたくはないだろう。
もう
有る物全てくれてやろう。
こういった無残な遺体が減るのなら
俺の所有する全ては無意味に近い。
心があれば生きていける。
大丈夫、生きていける。
避難所の母校で非難初日に食った高校生の握ったヘタクソな具のない小さなオニギリは、オレの人生で一番美味かった。手が震えたし、目が揺れた。皆で共有した毛布替りのカーテンはどんなムートンよりも心強かった。
その感覚を消さぬ様、偽善と笑われても高楊枝で結構。
人である為に、バーテンダーである為に。
人生は長短ではない。
人生は質だ。
以上が去年の3月に書いてた日記です。
いつ死んでもおかしくない。
って毎日感じていたのは俺だけじゃなく沢山いたと思います。
そんな時期がありました。
ピースジャムはそんな気持ちの奴等で出来ています。
あとFacebookに弊団体スタッフの運営するページがあり、活動報告等も熱く更新してるのでフェイスブッカーの方は良かったらきてみてください。
「ピースジャム」で検索です。
自分は使い方よく分かりませんが、「さとう けん」で何となくやっています。
長文読んで頂きありがとうございました。
2012/03/06 05:38 | People | COMMENT(2) | TRACKBACK(1)
コメント
岩井崎のあたりに8メートル規模の堤防を再建する予定があると聞きました。堤防を建てても意味がないことを学んだはずなのに。どうにかして阻止できないものかな…。
復興するならば、未来に還元できる形が最善のはず。
「その感覚を消さぬよう」…同感です。人間は幸か不幸か忘れてしまう生き物なので。これからも微力ながら応援して行きます。
No:433 2012/03/07 03:04 | J&R #- URL [ 編集 ]
Re: subjectJ&R
政策とは机上で進み、選挙時以降は民意が反映しがたい事をこの一年で収穫したよ。
素晴らしい政治家もいるのに集団になるとダメになっちゃうんだね。
不毛な要塞残すよりその大金を早急に雇用支援に回すべきだ。
政を為すは人に在り
政治家はいつから利権の奴隷になったのか。
PS
挙式はどうでしたか?
帰ってくる時は幸せな写真を沢山持ってきてね。
オレはまるでそこに居たかの様に皆に話すだろうから笑
No:435 2012/03/13 03:28 | Jamy #- URL [ 編集 ]
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2012/03/22 | まとめwoネタ速suru |
まとめteみた【~ルードジャムの限りなく透明に近い日記~】
写真は現在取りかかっている雇用支援の一つである縫製事業の商品に付くタグ自宅のネット環境がやっと、やっとやっと整ったので時間のあるときブログ書いていきます。